マンガへの原動力は"好奇心”
新年号の巻頭インタビューは、マンガ家の荒木飛呂彦さん。20歳でプロマンガ家としてデビューして以来、第一線でマンガを描き続けている。代表作『ジョジョの奇妙な冒険』は87年から現在まで連載されており、幅広い世代から大きな支持を得ている。荒木さんにマンガ家としてのこだわりなど、子ども若者編集部がうかがった。
――荒木さんの子ども時代のお話から、お聞かせください。 海外に強いあこがれを持っている子どもでした。でも、海外なんてそうかんたんに行けませんから、夏休みになると、アウトドア用品を持って自転車旅行に出かけるんです。2~3週間かけて北海道をぐるっと一周したりするわけですが、自分のなかでは「楽しい旅行」というより「武者修行」という感覚でした。自然のなかでテントを張って寝起きしたり、ときにはオバケに出くわしたり(笑)。 そんな自転車旅行から帰ってくると、ちょっと大人になれた気がしたんです。体力だけじゃなくて度胸もつきますから。
――「マンガ家になる」と決意されたのはいつごろだったのでしょうか? 高校生のときですね。父が画集をたくさん持っていたり、趣味で絵を描いていたこともあって、絵を描くことは子どものころから大好きでした。
高校生になると「将来どうするか」というように、進路をめぐってまわりも慌て始める時期じゃないですか。親には内緒にしていたんですが、私は「マンガ家になる」とひそかに決めていました。『週刊少年ジャンプ』に投稿してみたり、実家があった仙台から電車を乗り継いで、東京にある集英社までマンガを持ち込んだりもしました。
そう決心したのは、ゆでたまご先生のデビューがきっかけでした。『キン肉マン』という作品でデビューされたとき、ゆでたまご先生は高校生だったんです。「自分と同じ高校生なのに、向こうはプロのマンガ家なんだ」ということに焦りをおぼえました。それが転機になって、「自分はこのまま趣味でマンガを描いているだけでいいのか」と、真剣に考えるようになりました。
漫画家として生きていく その一線だけは越えない
――小説や音楽など自己表現の方法はいろいろありますが、なぜマンガだったのでしょうか?
ん~、けっこう深い質問ですね(笑)。一つには、子どものときから絵を描くと心が落ちついたという実体験が大きいです。私には双子の妹がいて、妹たちはとても仲がいいんです。兄としてその輪にちょっと入りづらいというか、疎外感を感じるときもあって。そういうときに絵を描いていると不思議と気持ちが楽になったし、描いた絵を通して妹たちとも仲よくなれたんです。
また、時代背景も大きかったなと思います。当時は、藤子不二雄先生、ちばてつや先生といった著名なマンガ家がたくさんいらして、すばらしい作品を次々と世に送り出している時代でした。マンガを読みながら「自分だったらこうするな」とか、子どもながらに考える時間がとても楽しかったんです。それがきっかけで「マンガを描いてみたい」と思うようになったので、マンガ以外の選択肢はちょっと考えられませんでしたね。「自分はマンガ家として生きていく」という線を引いてからは、その一線を越えようとは思いませんでしたし、その気持ちはいまも変わっていません。
"いいマンガ家” ただその想いで
――「働く」ということについてはどうお考えですか。
私は20歳でデビューさせていただきましたが、当時もいまも「マンガ」と「働く」を結びつけて考えたことはないですね。「描かせてもらっている」という思いのほうが強くて。これを描くから原稿料がいくらもらえるというように、マンガを描くことを労働賃金という視点から考えたことはないんです。
デビュー当初はだいたい、1枚描くと4000円弱ぐらいもらえたんです。30枚描いたとしても毎月10万円くらいの収入ですし、そもそも1カ月で30枚描けるかどうかもわからない。でも私の場合は、そうした金額うんぬんを超越した思いがありました。それは、「いいマンガ家になりたい」ということ。ですから、「働く」ということとお金の問題を絡めると、ちょっとまちがった方向に行ってしまうんじゃないか、というのが私の考えです。その場合はえてして、人は欲に走りますから。
――私は不登校というありのままの自分を生きると決めましたが、どこかで将来への不安をぬぐえない部分もあるんですが。
私自身の話をすれば、マンガ家として一人でマンガを描いています。そうすると、「孤独に耐えねばならないとき」がかならずあるんです。たとえば、自分が自信を持って描いたストーリーが読者に受けいれられなかったとき。「何でだろう、世の中の人は何を考えているんだろう」と自信をなくし、「私は一人だ」という孤独感がさらに強まることもあります。そういうとき、音楽でも芸術でも、天才と呼ばれるような先人たちの生き方や姿勢などに、勇気づけられることがあるんです。
私はゴーギャンというフランス人画家が好きなんですが、彼は絵を描くだけのためにタヒチまで行くんです。なぜ、絵を描くという理由だけで地球の裏側まで行くのか、子どもながらにいつも不思議でした。イメージで描いたっていいし、いまとちがってインターネットがなくても写真はあるわけですから。しかも、そこまでこだわって描いたからといって、かならずしも絵が売れるという保証はどこにもありません。でも、そうした確固たる意志だったり、自分の信念に沿った行動が、私にとって励みになるんです。
――敵役ですが、私は『ジョジョの奇妙な冒険』の第4部に出てくる吉良吉影に共感するとともに励まされました。
『ジョジョの奇妙な冒険』(以下、『ジョジョ』)の登場人物というのは、主人公も敵役も、自分に自信を持って前向きに生きている人たちなんです。吉良吉影というのは、いわゆる"殺人鬼”で、その生き方を自分でも否定していません。「それならそれで自分の幸せを追求しよう」と生きているんです。もちろん自分勝手な悪の論理ですから、社会的に受けいれられるものではありません。
しかし、そういう人間をマンガに登場させて主人公たちと真摯に向き合わせていくなかでの人間模様を描写する。それが『ジョジョ』のねらいの一つなんです。一言で言えば、『ジョジョ』のテーマは「人間賛歌」なんです。私自身、主人公はもとより、敵役の「折れない心」を描いていて勇気づけられることがありますし、そういった部分が読者の方にも響くんだと思います。
マンガ家の孤独についてさきほど触れましたが、だからこそ「自分を信じる」という気持ちが、マンガ家になるうえですごく大切なことだと思うんです。自分のアイデアが読者にウケるかどうかは、描いているときにはまったくわかりません。たとえどんなに有名なマンガ家であっても、絶対的な確信は持てないと思うんです。マンガ家としてデビューして30年が経ちましたが、自分を信じてマンガを描き続けること、それが自分の使命なのではないかと思います。
――自分に自信を持つためには、どうしたらいいんでしょうか。
自分に自信を持つために修行するんです。私はいまでも何十、何百タッチと、毎日たくさん描いています。だからこそ、あまりペンを握ったことがない人では絶対描けない線を引けるようになるんです。これは野球の素振りにも通じるんじゃないかと思います。ホームランだって、急に打てるようになるものではないですから。そういった表立っては出てこない努力の積み重ねが自信につながっていくんだと思います。
『ジョジョ』という作品を描く前には、知能戦をテーマにした『魔少年ビーティー』や、究極の肉体をテーマにした『バオー来訪者』という作品を描いていますが、いま見かえしてみると絵もストーリーも安定していません。でも、その2作品がなければ、『ジョジョ』という作品に行きつくことはなかったと思うんです。
謎を追うことが 醍醐味の一つに
――作品づくりにおいて、荒木さんの原動力はどのようなものでしょうか?
「好奇心」だと思います。マンガのネタって、この世の謎を追っていくなかで見つかることが多いんです。
昔、イギリスにあるネス湖という湖にネッシーという恐竜がいると、ウワサになったことがあるんです。そのとき、私は本当にいるかもしれない、って思っていました。「いないかもしれないけど、いるかもしれない」、そういう謎の一つひとつが、マンガのネタやアイデアにつながっていくんです。ですから、世界中に散らばる謎に迫っていくということは、マンガ家としての醍醐味の一つだなと感じています。あとは、それをどうストーリーに引っ張ってくるか、ということを考えればいいわけですから。
マンガって、ネタに困るよりも描く気力がなくなることのほうがよっぽど怖いんです。「なんだか今日は描きたくないな」っていう気持ち、これが一番怖い。それが何カ月も続くとスランプになります。
「やらなきゃ」って思えば思うほど、どんどん描けなくなってしまう。そういうときにあえて散歩に出かけるとか、描く気力をなくさないための気をつけ方というのは人それぞれだと思いますが、なによりも大切なことは「好奇心」をなくさないことだと私は思います。
――ありがとうございました。(聞き手・小熊広宣/子ども若者編集部 企画担当・山本紘)